全力中年(北の友人へのオマージュ)

アン・ルイスさんとお知り合いになったら「アンさん」と呼ぶべきか「ルイスさん」と呼ぶべきなのか。「アンさん」とファーストネームで呼ぶのはどうなのだろうか。「ルイスさん」だと星ルイスさん、カール・ルイスさんと混同されはしまいか。モンキーパンチさんは?アーノルド坊やさんは?疑問は枚挙に暇ないのですが幸い僕はゲーノージンでも関係者でもありません。加えてアンルイスさんと心中する気など毛頭ありませんので(アホになりながら)六本木に赴くことさえないのです。そんな僕が住んでいるのは(アホになりながら)三軒茶屋でも(アホになりながら)九龍城でも(アホになりながら)十二指腸でも(アホになりながら)二十四の瞳でも(アホになりながら)三十三間堂でも(藤原紀香になりながら)レオパレスでもないのですが、あ、(アホな藤原紀香になりながら)レオパレス21でもないのですが、よくゲーノージンユーメージンを目撃する。もうそこかしこに蔓延り跋扈しパレードに参列している。この街には僕以外はゲーノージンしか住んでないんじゃないか、もしかしたら僕もゲーノージンなんじゃないかとさえ思う。しかし不幸にも僕はゲーノージンでもユーメージンでもありません。仮にこの街に生息する人間が僕以外ゲーノージンユーメージンだけだった場合、僕のほうがマイノリティであり注目するに値する人間であるはずだ。しかしながら今現在そういった兆候は全く見られませんしそこいらを変装もせずふらふらしたところで、すわイッパンジンか、と周りが騒然とすることもない。このことからもこの街にはゲーノージンユーメージン以外も生息していることは明らかです。ではなぜこんなにもゲーノジンユーメージンを目撃するのか。これはやはりあの地下鉄に乗りながら脳味噌をクレアラシルで洗浄しちゃったお方のブログにあったとおり意識の問題だと思うのです。あ、ゲーノージンユーメージンって実在するんだ、という意識。僕が今よりもほんの少し若いころは雑踏の中から極上のBUSUを発見することが得意でした。それは恐らくもてあました性欲をぺらっぺらのボストンバッグにつめて上京させた挙句都会に染まらないでなんて願いつつ木綿のハンカチーフをねだっても尚あまりある性欲の所為だったと思うんだけどとにかくBUSUに目がいってたしBUSUを発見してた。それこそこの街にはBUSUしか住んでないんじゃないか、もしかしたら僕もBUSUなんじゃないかと思ったほど。これに関しては否定する材料がございませんので本当にあの街にはBUSUしか住んでなかったのかもしれませんし、僕もBUSUなのかもしれません。もしかしたら僕は蝶々が見ている夢なのかもしれません。そんな僕はBUSUをロックオンする毎に胸に星のマークを付けそのマークは日毎増加の一途を辿っておりましたので僕のシャツは見ると目がチカチカすると評判でした。S級のBUSUを発見した際には星の代わりにフジツボを付けていましたので磯臭いとも。そのくらいBUSUに意識がいっていた。これを踏まえますと意識のもちようでUFOも宇宙人もオバケもぬらりひょんもケツァクアトルもサルティンバンコも見つけることが可能だと考えられるのです。しかしながら言うは易しちんこ硬し。意識改革が至難の業であることもまた事実。ゲーノージンユーメージンの目撃に話を戻します。僕が目撃したそれらの方々にはある共通点がありました。それは、みなビッグスター、メガスターではなかった、ということ。親近感を持てる程度のユーメージン、悪い言い方をすればイッパンジンからさほど遠くないユーメージンの方々だったのです。あ、こんなとこにいても不思議ではないね、っていう。この、「いても不思議ではないね」という感覚、意識。それこそがこれらの方々を目撃できた要因のひとつだと思うのです。逆にメガスターをそう簡単に目撃できないのは「こんなとこにいるはずがない」という意識が働いているからで、もっと言えばそのメガスターを架空の人物空想上の生き物として認識している所為であると思われます。長々と書いてまいりましたが以上のことから「タモリは宇宙人だ」と結論付け打鍵を終えたいと思います。