ポンプ室の裏 吐いた唾で煙草を消す
8月。
課外授業も終わり短い夏休みに入った。ここから2週間は登校日もないので俺は金髪にすることにした。「カットサロンやまもと」中学の頃から5年近く通っている美容室。客が少なくマンガが豊富なナイスな空間。店長の山本さんは見た目がゴリラでしゃべりがオカマ、腕は確かだが記憶が不確かという人物。加えてカタカナが苦手だった。「いらっしゃい、クロカワくん!」満面の笑みでゴリラが迎えてくれる。しかし残念なことに俺の名前はクロキだ。最初の頃は訂正していたが最近では予約の際も自ら「クロカワです」と名乗っている。戸田もここに通っているのだが、「クロカワくんは元気にしてる?」と俺の話題が出ても「元気ですよ、クロカワ」と一切躊躇せず話を進めているらしい。とりあえず金髪にして欲しい、とオーダーすると「その長さで(俺は肩近くまでのロン毛なのだ)金髪に!?かなりワイドになるよ〜」と言う返し。ワイド?ああワイルドのことだな、と脳内で変換し「ええ。でもいっぺんやってみたいんで」とスルー。チェアーに座り薬剤を調合している間、山本さんは「こないだチャンドラーさんがさー」と俺と全く面識のないインド人の話をしてきやがる。「へ〜!そうなんですか」いつものことなので俺も慣れたもんだ。そのうち話題は映画の話へ。ここまでいつものパターンだ。山本さんは身振りを交えて話をするものだから全くカットが進まない。おまけに洋画のタイトルや外国人俳優の名前はむちゃくちゃだから頭にも入ってこない。こないだなんて「タイタニック見た?かっこよかったよねー、フラヒ!」とのたまいやがった。(1)フラヒ→ブラピ→ブラット・ピット (2)ブラット・ピットはタイタニックに出演していない 2個だ。2個間違えている。髪が染まるまでの待ち時間、マンガに集中したい俺を余所に漫談を繰り広げる山本さん。「こないだ父親が心臓の手術をして〜、ピースメーカーを埋めたのね〜」ペースメーカーね。この人は僕を試しているのではないだろうかとさえ思えてくる。この時間は全く持って苦痛なのだが美容室を変える勇気もない俺はまたここに来るしかない。2時間強の苦行を終え店を出る。
本屋に行く途中図書館の前を通るとヒロコとフルサワさんが出てきた。「わー、真っキンキンやん」と言いながら俺の頭を触ってくるヒロコ。無口なフルサワさんはにこにこしながら見ている。ヒロコはヨーちゃんの元カノだ。そのせいで俺たちとも仲が良かったのだが、元々なれなれしい性格なのかヨーちゃんと別れた後も普通に俺たちに絡んでくる。最近は学食でも俺に寄ってくるので戸田やナミーは「お前に気があるんやないん?」と冷やかしてくる。もっとも俺も少しそう思っていた。「図書館で勉強しよってー、おなか空いたけんなんかオゴって!」あー、こりゃ男はヤラれるわ。フルサワさんは気を利かせたのか先に帰ると告げてその場を離れていった。「ヨーちゃんに悪いなあ」と一瞬だけ思ったけど、俺はこの笑顔を自分のものにしたい気持ちでいっぱいになっていた。
赤信号と柿の巻
生活支援施設の巡回車の中。
活動を取材するクルーの一人として搭乗している。ボロボロのワンボックスカー。経済の崩壊したどこかの国のどこかの村を行く。しかし、なぜかその地域ではその巡回車は忌み嫌われており、村民が憤怒の表情で棒切れや鍬を持ち追い立ててくる。投石によりガラスに穴が開く。他のスタッフに「おい、かなりマジだよ」と苦笑しながら話しかけていたら村民と目が合う。小ばかにしたような僕の表情が火に油を注いだらしく、車に追いつきドアをこじ開けようとしている。危機的状況にも関わらず、運転手は赤信号を遵守し停車している。村民と僕との攻防が続く。窓ガラスに開けた穴に突っ込んできた手を拳銃で撃つ。車はまだ停車している。前方を見ると、運転手は柿の実を赤信号と間違えている。そのことを告げ、ハンドルを奪い急発進する。カーナビではサッカー日本代表が敗戦により帰国したことを告げるニュース映像が流れている。トラックの荷台に腐ったみかんやびしょびしょの雑誌と一緒に乗せられている日本代表。負けたらこんな目に遭うのか、と驚く。
決して水底を覗いてはならないの巻
前半失念。
自宅寝室、ベッドでうとうとしながらマンションに併設されているスポーツジムのパンフレットを見ている。
プールのページ。何故かハードタッチのマンガ仕立て。ページ全体に真っ暗な水面が描かれ、その真ん中に固めのフォントで「決して水底を覗いてはいけない。彼らに取り込まれてしまうから・・・」と書かれている。そのプールは水深30メートルで、その中ほど深さ15メートル地点にはめ込み式の鉄格子がある。そして底の方には、目が退化し大きな口と牙、水かきのついた足だけが生えた肉色のおたまじゃくしのバケモノが群生している。
一緒に住んでいる人がずぶ濡れで駆け込んできて「やっぱりあのプール、底の方に何かいる」と怯えながら僕に告げる。このバケモノのことだなと思い「鉄格子をはめれば?」と提案するも「やり方がわからない」と返される。「じゃあ管理人に頼みなよ」と言うと「だって、あの爺さん婆さん、あたしに土下座してくるんだもの!」とキレ気味に言ってきた。「じゃあもうこのスポーツジムはやめよう。ここに入ってから変なことばかり起こるし」(おそらく前半部分に何かあったと思われる)と言うと彼女は同意し、ベッドに横たわり頭の後ろあたりを掻いた。彼女が頭を掻く腕とベッドの隙間から小さな小さな手が出てきて激しく暴れだした。2人驚いて飛び起きると彼女の隣にむずがる新生児がいた。
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ハッとして目を覚ますと隣でニヤニヤしながら彼女が見ていた。
「寝言言ってたよ」
「なんてしゃべってた?」
「プシュシュシュシュシュー、って」
1.14
昨日、感動があった。笑えるとか泣けるとかそんな一元的なものではなく文字通り感情を動かされたとしか言いようがない。そしてそのことを記録しないといけない思いに駆られた。頭の中は全くまとまっていないし、何を残したいのかさえよくわからないけれどとにかく記録する。時間が経ってしまえば薄れるし、良い文章を書こうとして思ってもいないことを散りばめてしまいそうだから。思いついたことの断片をただ記録してみる。
人の話や文章でここまで心を揺さぶられたのはいつ以来だろうか。そもそもそんな経験が過去にあったのだろうか。習慣で開いた個人ブログの内容に動悸がした。比喩でも大袈裟でもなく本当に心臓がドクンとした。個人の全く個人的な記録。僕には何の関係もない話。なのに出だしから最後まで僕は彼になっていた。彼の心情が描写された部分は同じように心がざわめいた。僕には何の損も得もない話なのに。もともと彼には並々ならぬ親近感は持っていた。彼との対話から得た情報を肥大化させ都合の良いように解釈し形成した彼の人格は僕そのものと言っていいほど一方的に自己と同一視していた。そして自己愛の強い僕はそんな(架空の)彼が大好きだ。だからなのだろうか。いや違う。彼が僕ではないことがその日のブログには記されているにも関わらずだ。それどころか彼と僕が決定的に違うことに気付かされたことに感動したのかもしれない。彼はここ最近でごく身近に生と死を見た。僕にはその経験はない。もちろんそれだけの違いだけではないだろうがそれは非常に大きな違いであることを気付かされた。
死の衝撃の大きさに驚いた。昔読んだSFに出てきた反物質爆弾を思い出す。人を一人消去った衝撃は1000キロ離れた何の関係もない人間にこんな駄文を書かせるのだ。
僕はこの先このブログのような文章が書けるのだろうかと思った。僕は文筆家でもないしそれを趣味としているわけでもないけど、単純にそう思った。嫉妬だろうか。人は誰でも一生に一冊は本を書ける、なんて耳にするけど今の僕が本を執筆したとしても進研ゼミの勧誘マンガ以下の薄っぺらさだろう。常に凪でありたい、と思い生きてきた結果こんな臆病で半アパシー人間になってしまったのだろうか。もちろん幸せであるにこしたことはない。痛いのはイヤだ。けれどもそれにとらわれすぎるあまり気付かなかったり見ないふりをしながら生きてきたんじゃないだろうか。反省か。明日には忘れているだろう。
通夜や葬儀についての話題のとき、極めてありきたりだが自分の葬儀にはどのくらい弔問に来てくれるのだろうか、と考える。人付き合いは得意ではないがそんなに苦手でもない。けれども携帯のメモリーはいつまでたっても増えない。子供の頃は苦手だった食べ物が大人になり大好物になった。でもそれと同じ数だけ大人になって苦手になった食べ物がある。人間関係も同じような感じだ。
深夜に帰宅しベッドに潜り携帯からそのブログを見ていた。一緒に住んでいる人はそれよりもだいぶ早くに眠りについたらしくいびきに合わせて布団が上下している。僕はこの人とずっと一緒にいたいと思った。
今日は朝早くから会社の命でセミナーに参加した。何度かこの種のものに参加したことはあるがどれも内容は変わらないと改めて思った。成功者の自慢話を聞くことに何の意味があるのだろうか。ホームレスの話のほうが何倍もためになるような気がする。むしろ金を払ってでも聞きたい。前夜と引き換えこんなにも何にも残らない話があることに驚く。感動が薄れていく。比べる僕がバカなのだろう。携帯で再びブログを読み返す。セミナー後同僚と別れて渋谷で下車。ハンズで封筒と便箋を買う。唯一短い年賀状をくれた地元の友人に返事を書くために。人が死ぬとハンズが儲かる、と思いつき笑う。
全力中年(北の友人へのオマージュ)
アン・ルイスさんとお知り合いになったら「アンさん」と呼ぶべきか「ルイスさん」と呼ぶべきなのか。「アンさん」とファーストネームで呼ぶのはどうなのだろうか。「ルイスさん」だと星ルイスさん、カール・ルイスさんと混同されはしまいか。モンキーパンチさんは?アーノルド坊やさんは?疑問は枚挙に暇ないのですが幸い僕はゲーノージンでも関係者でもありません。加えてアンルイスさんと心中する気など毛頭ありませんので(アホになりながら)六本木に赴くことさえないのです。そんな僕が住んでいるのは(アホになりながら)三軒茶屋でも(アホになりながら)九龍城でも(アホになりながら)十二指腸でも(アホになりながら)二十四の瞳でも(アホになりながら)三十三間堂でも(藤原紀香になりながら)レオパレスでもないのですが、あ、(アホな藤原紀香になりながら)レオパレス21でもないのですが、よくゲーノージンユーメージンを目撃する。もうそこかしこに蔓延り跋扈しパレードに参列している。この街には僕以外はゲーノージンしか住んでないんじゃないか、もしかしたら僕もゲーノージンなんじゃないかとさえ思う。しかし不幸にも僕はゲーノージンでもユーメージンでもありません。仮にこの街に生息する人間が僕以外ゲーノージンユーメージンだけだった場合、僕のほうがマイノリティであり注目するに値する人間であるはずだ。しかしながら今現在そういった兆候は全く見られませんしそこいらを変装もせずふらふらしたところで、すわイッパンジンか、と周りが騒然とすることもない。このことからもこの街にはゲーノージンユーメージン以外も生息していることは明らかです。ではなぜこんなにもゲーノジンユーメージンを目撃するのか。これはやはりあの地下鉄に乗りながら脳味噌をクレアラシルで洗浄しちゃったお方のブログにあったとおり意識の問題だと思うのです。あ、ゲーノージンユーメージンって実在するんだ、という意識。僕が今よりもほんの少し若いころは雑踏の中から極上のBUSUを発見することが得意でした。それは恐らくもてあました性欲をぺらっぺらのボストンバッグにつめて上京させた挙句都会に染まらないでなんて願いつつ木綿のハンカチーフをねだっても尚あまりある性欲の所為だったと思うんだけどとにかくBUSUに目がいってたしBUSUを発見してた。それこそこの街にはBUSUしか住んでないんじゃないか、もしかしたら僕もBUSUなんじゃないかと思ったほど。これに関しては否定する材料がございませんので本当にあの街にはBUSUしか住んでなかったのかもしれませんし、僕もBUSUなのかもしれません。もしかしたら僕は蝶々が見ている夢なのかもしれません。そんな僕はBUSUをロックオンする毎に胸に星のマークを付けそのマークは日毎増加の一途を辿っておりましたので僕のシャツは見ると目がチカチカすると評判でした。S級のBUSUを発見した際には星の代わりにフジツボを付けていましたので磯臭いとも。そのくらいBUSUに意識がいっていた。これを踏まえますと意識のもちようでUFOも宇宙人もオバケもぬらりひょんもケツァクアトルもサルティンバンコも見つけることが可能だと考えられるのです。しかしながら言うは易しちんこ硬し。意識改革が至難の業であることもまた事実。ゲーノージンユーメージンの目撃に話を戻します。僕が目撃したそれらの方々にはある共通点がありました。それは、みなビッグスター、メガスターではなかった、ということ。親近感を持てる程度のユーメージン、悪い言い方をすればイッパンジンからさほど遠くないユーメージンの方々だったのです。あ、こんなとこにいても不思議ではないね、っていう。この、「いても不思議ではないね」という感覚、意識。それこそがこれらの方々を目撃できた要因のひとつだと思うのです。逆にメガスターをそう簡単に目撃できないのは「こんなとこにいるはずがない」という意識が働いているからで、もっと言えばそのメガスターを架空の人物空想上の生き物として認識している所為であると思われます。長々と書いてまいりましたが以上のことから「タモリは宇宙人だ」と結論付け打鍵を終えたいと思います。
ポンプ室の裏 吐いた唾で煙草を消す
頭の中が6畳間だったなら、とりあえず勉強しなきゃ、という思いがキングサイズのベッドだ。
あとはテレビとステレオとエロ本しかない部屋。笑いと音楽と女の子のこと。
いくら模様替えをしてもデカすぎるベッドのせいで大して気分も変わらず。
ひとつしかない窓にはレースのカーテン。
光は差し込んでいたけれど、その向こうの景色ははっきりとは見えなかった。
4月。
ヨーちゃんを除く俺ら5人は無事に、というか普通に3年に進級できた。普段は無茶苦茶遊んでいても、なんだかんだ定期考査の前にはみんなキチンと試験勉強をやっていた。仲間がどの程度の成績で、自分がどのくらいのポジションなのかは、口には出さないまでもみんな気にしていたはずだ。ヨーちゃんは明るくて行動的でお洒落だった。少なくとも俺らの中では人気者だった。でもこっちがディープになるくらい馬鹿で、なにより要領が悪かった。去年の予餞会、俺らのバンドの演奏に興奮したヨーちゃんが客席から消火器を噴霧したときは本当に参った。やりすぎだ。すべてがそんな調子で後先を考えないから留年なんかすることになったのだ。高校での留年なんて致命傷だ。
仲間内でひとり階下の教室に残ることになった彼とはゴールデンウィークに入る頃には疎遠になっていた。そうなった、というよりは俺たちが距離を置き始めたのだ。溜まり場になっていた戸田の部屋で5人で遊んでいても、外からヨーちゃんのジョグの音が聞こえてくると、「ヨーちゃん来たら、出かけたっち言って!」と戸田が母親に告げるということが何度か続いた。玄関先でのヨーちゃんと戸田の母親とのやり取りを笑いを押し殺しながら聞いていた俺たちは本当にひどかった。「俺らひでぇー」などと笑い転げながら言い合っていたのも、本当はひどいなんてこれっぽっちも思っていないことも含めてひどかった。
5月の中頃。
俺とナミーはやっと原チャリを買うことが出来た。2年のときから地道に続けてきたタダ食い貯金が目標額に達したからだ。うちの高校の食堂は無法地帯だ。餓鬼が群れなす地獄だ。そんなもんだからどれが誰の食券かもわからなければ、出てきたものを誰が持っていったとしてもわからなかった。俺とナミーは1年近く食券も買わずにいきなり窓口の群れに紛れ込んではカレーを強奪してきた。カレーの窓口が常に一番人が多かったからだ。あるとき、すっごく恐ろしかった先輩のカレーと知らずに横取りしてしまった。激昂したその先輩が「おまえ俺のカレーとったやろうが!」とわめきながら全く関係ないヤツの胸倉を掴んでいるのを見て肝を冷した。味のしないカレーをスープのように流し込んだ。そんな努力の末についに手に入れたスクーター。俺はディオ。ナミーはチャンプだった。その週末には近くの貯水池にツーリングに行った。ナミーのフルフェイスにはヤツの大好きだった「長淵剛」の名が自作のカッティングシートで貼られていた。が、額のど真ん中に「SHOEI」のロゴのあるそのメットに、こいつは何を思ったかそのロゴを挟む形で「長 SHOEI 渕剛」と貼っていたのだ。普通苗字と名前で切るだろう。「長」で「淵剛」だ。しばらくのあいだナミーの別名はブチツヨシになった。
そのナミーが次の週の半ばから学校に来なくなった。もっともしょっちゅう学校を休んでいたやつだったが、土曜日になっても来なかったし、学校を休んだ日でも必ず現れていた戸田の家にも来なかったのでさすがに気になった俺らは次の日ナミーの家に行ってみることにした。ナミーの家の前に着くと俺たちはすぐに事態を把握することができた。ガレージに食べかけのケンタッキーのようになったスクーターがあったからだ。スウェットの上から腹を掻きながら家から出てきたナミーは「何しに来たん?」と愛想のないことを言いながらも俺らを招き入れた。聞けば通学途中に前方から右折してきた軽トラと接触事故を起こしてしまったらしい。さっき見た鶏ガラはその成果だ。廃車確定だそうだ。怪我などは全くしなかったが学ランがボロボロになってしまい、そのせいで学校に来なかったとのこと。あと何日かで衣替えになるのでそれまで休むつもりだそうだ。
次の日。
俺は休んでいるナミーの席で授業を受けることにした。周りが仲のいいやつばかりだったからだ。地学の授業中、何気なく引き出しの中に手を入れたらそこに真新しい上履きがあった。新学期にナミーが買ったものだと思われる。そのころの俺らの流行りは上履きにお気に入りのミュージシャンやバンドのロゴを書き込むことだった。メタル好きのリュウはラウドネスとアンセム。渋目好みで周りからは少し浮いていたヒデちゃんはマディー・ウォーターズ。モニタースピーカーに足をかけた布袋のラバーソウルを奪おうとして蹴りを喰らい前歯を折ってしまった戸田はボウイ。修学旅行のとき「ままま」という屁をした井上は浅香唯。JUNの隣で小便をしたことがある俺はウイラード。という感じだった。他人の持ち物はキャンパスだ、を信条に高校生活を送っていた俺は迷わず油性ペンを手に取り、そのまっさらな上履きの側面に「アドンナ」と書き込んだ。一部始終を見ていたらしいゆうちゃんは笑いをこらえながら、自分によこせ、と言って来た。コラボの開始だ。マッキーの太いほうで「アドンナ」を縁取ったゆうちゃんはそのまま同じ書体で「サミー」と書き足した。サミーアドンナ。再び戻ってきた上履きに俺は「Jr.」を書き足し、さらに「1st.シングル ワールド・チャンピオン」ともう一方の側面に書いた。期待のニューカマーが誕生した瞬間だった。
2学期になり、文化祭でのクラス合唱曲を決めるアンケートに、このサミーアドンナJr.のワールド・チャンピオンが10票近くも投票されることになることを俺たちはまだ知らなかった。